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Johnny / Jim Sullivan (1969)

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 ジムは本当に砂漠に消えたのか?再起をかけて単身ナッシュビルへ向かった売れない歌手の不可解な失踪劇、しかし、生身のジムは実際に一人で砂漠に歩み入ったのだろう。それは自殺ではないのか?最後に買ったと言われる一瓶のウオッカが砂漠で何の役に立つのだろう?最初の恐怖感くらいは消せたのかもしれない。「ジョニー」のリバーブ感のない音像は、乾いた砂漠の冷たく黒い青空の表象である。ジムもまた泥水を啜り、石を枕とするつもりはなかったのかもしれないが、そのコレスポンダンスを残したのだ。

# by pqch-fe9 | 2022-08-12 09:27 | Music

Syd Barrett 1971-2006 / K. M. Sunset (2018-2021)

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Syd Barrett 1971-2006” (「偶像の黄昏 / マークスターディ(2006)」「ザウォールの闇 / ミーカマサーヤ、トーマスジョンソン(1982)」「隣の天才 / デビッドソア(2006)」「オクトパス解読 / ポールベルビン、ジュリアンパレイシャス(2005,2008)」) / K. M. Sunset (2018-2021)

 昨年まで四年間、シドバレット関連の記事を翻訳し毎年一つずつ私家版として刊行した。ケンブリッジに戻った70年代初頭、1972年1月から2月までの短期間続いたバンド「スターズ」前後の顛末を詳しく取材したマークスターディによる2006年MOJO特集号原稿「偶像の黄昏」、莫大な印税収入によるロンドンでの放蕩生活の後、再びケンブリッジの母親の家に戻った直後の1982年にフランス人記者がケンブリッジでシドと短時間面会した際の顛末を記事にした1982年アクチュエル誌の原稿「ザウォールの闇」、そこには「シドバレット救済委員会」を主催したバーナードホワイト宅を訪問した際の様子も記されている、同じ頃から、2006年に没するまで隣の区画に住んでいたというデビッドソアの手記「隣の天才」、そして、2005年にポールベルビンが執筆、2008年にジュリアンパレイシャスが補筆し、公式サイトにも掲載されている「オクトパス解読」である。
  これらの原稿から、活動終了後の彼の数奇な生涯が垣間見えてくる。ある意味では彼はもう普通の人だったのかも知れないが、その生活はとても普通とは言えない。短く不安定なソロ活動の後、1970年に故郷へ歩いて戻ってからの顛末は「偶像の黄昏」に述べられている。同時期にはミックロックによるローリングストーン誌のための取材と撮影があり、雑誌掲載のために編集される前の元原稿が彼の写真集「サイケデリックの反逆者」に掲載されている。割合穏やかな要素も散見されるこの頃に、地元音楽シーンでのステージへの復帰、スターズの結成とその唐突な終焉があり、再び活動を断念することになるのだが、その頃フロイドの世界的な大成功のため巨額の印税がもたらされ、1974年以降、彼の生活はまたもや常軌を逸したものになる。しかし、それも宝くじに当たったために人生が破滅するというような、ある意味では一般的な現象といえるのではないか。彼はロンドンの高級マンションに十年近く滞在して浪費に明け暮れたのだ。
そんな生活が始まったばかりの1975年には、” Shine On You Crazy Diamond” 録音中のフロイドを、アビーロードスタジオに突然訪れ、あまりの容貌の変化に初めはメンバーが気付かなかったという有名な逸話がある。パブに入り浸り、ギネスの飲み過ぎで太り、別人の様になっていたようだ。そして、テレビ、ギターを初めとした高級品を際限なく買い漁り、それを周囲の人間に気前よくくれてやり、また新たに買い直すということを繰り返している。その様にしてマンションのドアマンに頻繁に渡していた様々な物品の中に、複数のオープンリールテープが入った箱が含まれていた。テープの中身は不明である。マンションで何か新たに録音したのか、以前から持っていたものなのか、或いは何も録音されていないのか。そのテープ自体も、当のドアマンが家に持ち帰る際にデパートに置き忘れてしまい、そのまま行方不明である。90年代には、元ティラノザウルスレックスのスティーブトックと当時のロンドンでトックが居住していた地下室で録音したセッションテープが発掘されたことがあるから、本人による録音テープが存在する可能性は大いにあるといえるだろう。行方不明のテープの中身、また、その他のテープが存在する可能性、それに関しては興味の尽きないところだ。何らかの新しい試みがなされていたのか、或いは1974年8月にアビーロードスタジオで試みられた録音の様にブルースやブギの断片なのか。様々な推測は可能だが、もはや「失われた時をもとめて」に思える。今後の発掘に期待したい。
  彼は結局、収入を使い果たしてしまい、マンションを引き払い、再びケンブリッジの母親の家に戻ることになる。その二度目の帰郷直後の様子を伝えるのが、「ザウォールの闇」である。短い面会の際に撮影された記念写真を見る限り、どことなく気楽で、何も気にしていない様にみえる。もはや太ってもいない。しかしその後、亡くなるまでの二十数年を彼はそこで過ごすのだ。母親に対する発作的な暴力のため、彼は拘束され、母親は出ていった。独り暮らしの彼の面倒を近くに住む妹がみた。母親の没後は糖尿病になり、失明同然で病院から戻った翌日に亡くなる。その没年までの隣人との限られた交流を伝えるのが、「隣の天才」である。夜更けに家で独り居て、ロジャーウォータースをののしって激高し、部屋の窓ガラスを全て叩き割っては翌日業者に交換させる、ということを繰り返していた様だが、その暴力的な発作も時と共に少なくなり、晩年は落ち着いていたらしい。描きためた絵を庭でまとめて燃やすことは時々あったが、楽器を演奏することはなかったようだ。
 「オクトパス解読」は、歌詞中にみられる様々な文学作品からの引用・影響を指摘したどことなく衒学的な解説である。しかし、「オクトパス」が「蛸」のことではなく、「遊園地の乗り物」のことだという指摘だけでも非常に貴重なものだ。「オクトパス」ではなく「オクトパスライド」なのだ。どちらかというと「バイク」並みに子供っぽい内容に、幾多の文学的な引用を詰め込んだ、結局何のことだかよくわからない作品なのかも知れない。しかし、単語一つ取っても、引用先のものとは微妙に綴りや発音の違うものに変えるなど、非常に精巧に作られていることは確かだ。この曲の制作は1968年から69年にかけてと考えられているが、この様な作品を生み出した才能はその後、何処へいったのだろう?
「人は25歳までみな詩人。」
そんな言い方もあった。確かに当てはまる人もいるだろう。彼もそうだったのかも知れない。

# by pqch-fe9 | 2022-07-03 20:03 | Poetry

Deutscher Musikrat - Edition zeitgenoessische Musik / Claus Steffen Mahnkopf (2000)

 Deutscher Musikrat - Edition zeitgenoessische Musik / Claus Steffen Mahnkopf (2000)_c0028863_14145520.jpgどうやって、作っているのか、なかなかわかりにくい音楽だ。しかし、端正な楽譜をみると、適当に作っているはずもないのだろう。それはそうだ。マーンコフはポスト・ファーニホウと目される作曲家なのだ。
 この中に、どれほどの意匠が組み込まれているのか、それはしかし、そうとうに研究してもなかなかわからないのではないか?混沌としたテクスチャーとがさがさとした音響、しかし、このCDはカーステレオでもその特異な存在感を発揮する、優れた音楽だ。なぜか車の中で何回も聴いている。雑然とした景色があるかないかわからないうちに、過ぎ去っていき、非常に快適である。音が途切れた時、やっと気がついて、なんだったんだろう?みたいな感じである。シュトックハウゼンに捧げたTrema三作も秀逸だ。
# by pqch-fe9 | 2013-08-05 14:25 | Music