人気ブログランキング | 話題のタグを見る

オリバー・メシアン:鳥のカタログ / ホーカン・アウストボ (1997)


オリバー・メシアン:鳥のカタログ / ホーカン・アウストボ (1997)_c0028863_16462384.jpg

 五月、午前三時、目を覚ませと幽かな囀り、夜の静寂に孤独な鳥の声、遠い世界から希有な響きが聞こえてくる。漠然とした郷愁と漲る曖昧な希望。終わりのない練習か切実な独白。ホオジロが今年もやって来たのだ。
 毎年同じ場所なのは、同じ個体だからだろう。見た目は雀だが、何かが違う。どことなく高級な模様があり、気がつけば、昼間の喧噪の中、夕方の黄昏、ある時は電線に、ある時はアンテナにおり、のべつ似たような歌を歌う。それでも首尾良く巣が出来た後は、人を侵入者扱いして、近づくと警戒音を出して威嚇したりする。夏の終わりには、幼鳥を連れているが、秋が近づくといつの間にかいなくなる。冬を避けて、南に移動するらしい。
 ホーカン・アウストボが弾く「鳥のカタログ」の、断片を切り貼りした様な音像は、空間の隙間を際立たせる。囀りに隠れている無音の位相を聞かせてくれる。風通し良く居心地良い環境を演出してくれるのだ。ホオジロも素晴らしい。

# by pqch-fe9 | 2025-07-04 16:49 | Music

A Kiss for the Absolute: Selected Poems of Shuzo Takiguchi / Mary Jo Bang (Translation) (2024)

A Kiss for the Absolute: Selected Poems of Shuzo Takiguchi  / Mary Jo Bang (Translation) (2024) _c0028863_13325663.jpg

 瀧口修造詩編の英訳本が出版された。代表的な作品35篇ほどの英訳と原文の日本語を並べて収録したものだ。英訳は殆ど逐語訳で、「詩とは何か?」という感じだが、日本語を見ると、それが思いがけず生硬で青臭い言葉使いであることに、初めて気付かされ驚いた。不遜ながら、直せばいいのに、これでは未完成ではないかと思ったが、そういえば、確かに未完成のままの筈だ。これは「詩的実験」なのだ。

 元本になる詩集「瀧口修造の詩的実験1927~1937」収録の作品は1927年から37年に書かれたものだが、詩集が出版されたのは1967年である。印刷の版下を作るために、瀧口自身が全作品を清書した当時の原稿を、2013年小樽文学館の特別展で見たことがある。鉛筆書きのつたない文字だったと思うのだが、収集された原稿や掲載同人誌などから、一字一句変更せず、或いは変更出来ずに筆写した旨がどこかに記してあった。しかし、自分で全部写すなら、なぜ書き直さなかったのだろうとその時は思っていた。

 1926年、瀧口は留学帰りの西脇順三郎からヨーロッパのモダニズム文学を紹介され大きな影響を受ける。彼の作品は最先端のシュルレアリスムが生み出した自動記述の方法で書かれた。原理的に自動記述に推敲などそぐわないのだろうが、この手法を開発したアンドレ・ブルトンは、最初期の詩集「磁場」や「溶ける魚」に収録した作品について多少の推敲を施したと後に述べていた。それは推敲というよりも自己検閲に近く、問題ありと思われる箇所を書き換えたということだったと思う。それを知ったのはもう何年も前のことだが、「なんだ、そうだったのか。」と裏切られた気がした。今考えれば、「それがどうした。」という気もするのだ。

 瀧口の詩篇でいかにも自動筆記らしいのは、27年の Étamines Narratives から31年の「絶対への接吻」までであり、それ以外、特に行分けされた作品では、それなりの推敲や構成の検討を経ているように思われる。瀧口は詩集編纂にあたって、作品を「詩」とは呼ばず「詩的実験」と呼んだ程であったから、40年前に書いたものを推敲して完成させる、という発想はなかっただろう。今となっては推測するしかないのだが、記述した当時であっても、推敲するとか、書き直すということがあっただろうか。同じくシュルレアリスムの絵画手法であるデカルコマニーの様に、出来たものから見栄えのいいものを選ぶ、位の感じではなかったか。実際、瀧口はデカルコマニーによる作品も後年になって多数制作している。

 自動記述は、よく書けることもあれば、全然駄目なこともある。最初はそれなりに感動的だが、繰り返していくうちにマンネリに陥ることになる。才能がないからだと言えば、それまでだが、ある程度の時間をおけば、また違った感じが出てくる。いずれにせよ、語句の書き換えや位置の編集など、推敲の余地はいくらでもある。しかし、少々変えたところで全体はそれほど変わらないとも言える。

 そもそも自動とはいえ、書くのは作家であり、いつでも都合良くお告げが降りてくる筈もない。勝手に手が動いて日月神示を書いた岡本天明なら、確かに自動だろうが、心に浮かぶよしなしごとを一切の検閲なしにそのまま書くというのでは、語彙や構文のレベルで人により様々な要素に影響されるだろう。それでも、前後の脈絡も文脈も殆ど感じられず、書いた本人にもそれなりに正体不明でわけのわからないものが出来てしまう、という仕組みが秀逸なのだ。

 しかし、どんな文章でも、何か書いたとして、本当に全部自分が書いたと言えるだろうか。いかなる内容であれ、言いたいことは十分に表現できた、など、随分おめでたいね、ではないのか。元々言葉は借り物であり、何かを伝えようとする限り、お手本に習うしかないのだ。初めに確固とした「言いたいこと」があり、それを表現する、などという図式は、実際とは相当違うのではないか。

 「言いたいこと」がない状態で何かを書く、それが「自動筆記」だろう。特に内容もない記述には「書くこと自体」の姿が現れるのではないか。それを推敲する時、意味内容と関係のない要素が洗練される。それは何かを伝えるためではない。意味伝達のための言葉ではなく、言葉それ自体が問題なのだ。

 自動記述に手を加えるかどうかは問題ではない。推敲してよくなるなら、それでよいのだし、そのままでよいのなら、それでよいのだ。問題は何をもって「よい」とするかだろう。そこに好みや趣味、価値観や世界観が反映される。それを推敲によって理想的な状態にすることが可能なのだ。記述した直後に、たまたま実現した天衣無縫をみとめることもあるだろうが、それでは実験レベルに留まってしまう。瀧口の「詩的実験」は先に進むことは諦めた、或いは出来なかったのだろう。

 「超現実主義宣言」から100年、いつまで「言いたいこと」を問題にするのか?

# by pqch-fe9 | 2025-02-23 13:44 | Poetry

表情が語ること シド・バレット 1967年9月

表情が語ること シド・バレット 1967年9月_c0028863_15511267.jpg

 2022年に初めて公開された一連の写真がある。1967年9月9日~13日にデンマーク、スエーデンを巡る北欧ツアーを移動中のピンク・フロイドのメンバーを、ケネス・エッグバーグが撮影したものだ。フェリーの中、公演前日のインタビューの様子、そして有名なチボリ公園の遊技場での場面など、中には今までに見かけたものもあるが、いずれも印象的なのはそこに映っているシド・バレットの表情である。当時は神経衰弱による同年8月の一ヶ月間に渡る休養が明けた直後であった。9月1日と2日にはロンドンのラウンドハウスのUFOクラブ企画に出演し、そこで久しぶりに会ったクラブのオーナー、ジョー・ボイドは、「その時、彼はにこりともせず、私を直視したが、その目からは、それまでの茶目っ気や煌めきは全く消え失せていた。」と、後に述べている。写真を見るとその意味が分かる気がする。9日からのツアーでもその状態は変わらなかったようだ。

 写真は一瞬の状態をとらえたものであるから、単なる偶然ということはあるだろうが、複数の写真に同じ特徴が現れているとすれば、それが一貫した表情であったと言えるだろう。何かにひどく驚いたような、顕著なショックを受けたような、印象的な表情である。当然、その前後の出来事や文脈がわからなければ、その様には見えないかも知れないが、長年流布されてきた彼に関する逸話と照合すると、なるほどそういうことか、と思わずにはいられない。

 彼の神経衰弱の進行は様々に語られている。同年4月にソーホー地区からアールズコート地区に住居を移し、ロンドン界隈で薬物を扱う最も危険な連中と付き合う様になり、LSDを含む様々な薬物の過剰摂取が始まった。そんな環境で5月12日のイベント「ゲームス・フォー・メイ」のために短期間で作られた「シー・エミリー・プレイ」は、シングル盤としてリリースされ、全英6位のヒットとなる。しかし、彼はポップ・アイコンとして扱われることに嫌悪感を示し、トップ・オブ・ザ・ポップスへの出演も嫌がり、3回目の出演時にはぼろぼろの服を着て出るなど奇行が現れ始めた。その他にも色々な顛末があるのだが、最も決定的なことは、ある「失われた週末」を境に別人の様になってしまった、というリチャード・ライトの証言だ。

その別人の状態の一端を示しているのが、今回の一連の写真なのだろう。彼はもうポップ・バンドとして、キャリアを積もうとしている他のメンバーに共感することは出来ず、自分の作り出した音楽がそのために使われていることに、強烈な違和感を覚えているのだろう。2000年代になって発掘されたトップ・オブ・ザ・ポップス出演時の映像にも同じ様な印象がある。「シー・エミリー・プレイ」を口パクで演じる際の目つきにも苛立ち、不満、諦念、何ともいえない表情が見える。同曲で3回出演したということなのだが、この映像は多分2回目のものではないだろうか。

当時のライブの日程には複数の詳細な情報が有り、細かい点での食い違いが見られるものの、奇行の悪化に伴い、前述の様に8月は演奏活動をキャンセルして休養、9月1日のラウンドハウスから再開、9日からの北欧ツアーの後、以前のライブスケジュールに戻ったが、様々に伝説的な奇行が継続的に発生したため、11月3日からの全米ツアーは1週間程で切り上げられることになった。

 ごく簡単にまとめれば、彼は自分が作り上げた作品で商売するのが嫌だったのだろう。非常にナイーブで子供っぽい反応だといえるが、業界全体の歴史も浅く、参考例は何もなかったのだ。本人は実際、プロにはなりきれなかったのだろうし、周囲も適切な対応は出来なかったのだ。しかし、皮肉なことに彼はその数年後、抜けたグループの大成功により多額の印税を手にし、常軌を逸した放蕩生活を送ることになる。


表情が語ること シド・バレット 1967年9月_c0028863_15511971.jpg

 最近、ヒプノシスのストーム・ソガートソンが生前に手がけていた伝記映画が完成し公開された。内容は多数の関係者へのインタビューと、いかにもヒプノシスらしい、今となっては周回遅れの前衛的な手法による映像が組み合わされたものだが、50年の歳月を経て、いまだに新しい映画が公開されること自体が驚きと言わざるを得ない。邦題は全くいただけないものだが、配給関係には残念ながら理解者がいないのだろう。その他、役者が演じたドラマ仕立ての作品もクラウドファウンディングにより進行中のはずである。


# by pqch-fe9 | 2024-09-15 15:58 | Poetry